ルーマニア地下コミニティー(マンホールタウン)の摘発、住民はどうなった。

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無数に散乱する注射針、やせ細った人たちが肩を寄せ合い暮らしている、それが、僕の見たマンホールタウンの住民の姿でした。
ルーマニアの首都ブカレストには、マンホールの下で暮らす人たちがいました。
この記事では、マンホールタウンとは何か、リーダーのブルース・リーは何者だったのか、2015年の摘発後に住民がどうなったかをまとめます。
公表されている範囲で、事実と推測は分けて書きます。

これは、クレイジージャーニーを見た、個人の主観も入っています。

ルーマニア、マンホールタウンとは

マンホールタウンは、ブカレスト北駅の近くにある地下空間です。
下水道というより、給湯用のトンネルでした。
冬の寒さをしのげる熱が、配管から出ていたからです。

それもそのはず、ルーマニアの冬の平均気温は、皆マイナス表示が続きます。
その気温の中を生きて行かなければなりません。寒さとの戦いですね。
その中で生存するには、地下、しかも、熱源があるというだけで、人が集まるのもうなずけます。しかし、下水道ですから、匂いも鼻の曲がるほどだったでしょう。衛生環境も劣悪で、そんな環境の中で彼らは暮らしていたのです。

1980年代までのルーマニアでは、子どもを産む政策が強く進められました。
家族で育てられない子どもは、国の施設に入りました。
1989年時点で、施設にいた子どもは約15万6千人とされます。
体制が崩れたあと、行き場を失った人の一部が地下へ入りました。

英語圏では「下水道の人々」と呼ばれることが多いです。
日本では、マンホールタウンという呼び方が広まりました。
1990年代後半から2010年代半ばまで、そこに人が住んでいたと報告されています。
人数は報道によって差があります。
「数百人」とする報道がある一方、摘発時に立ち退かされたのは30〜40人だった、とする調査もあります。

リーダー「ブルース・リー」とはどんな人物

ブルース・リーは、通称です。
現地メディアは、本名をフロリン・ホラと伝えています。
検察が当初、氏名を公式に公表したかは明らかにされていません。
身長は見た感じ、180cm弱といったところ。
腕には、ジャラジャラと鎖がまかれ、独特なファッション。
北斗の拳に出てくるキャラクターのように見えました。

2015年の摘発時、41歳と報じられました。
孤児院で育ち、正規の教育はほとんど受けていません。
住民からは「父」と呼ばれていました。
みずからは「下水道の王」を名乗っていた、と複数の取材が伝えています。
彼は、住民からは「ボス」と呼ばれ、住民を「家族」と呼びます。
マフィアの世界では「ファミリー」といった呼称がありますが、薬物を売ったお金でしょうか、大金を「ボス」に渡す姿に、トンネルの中でも、まさに「鉄の掟」があると感じました。

地下を掃除し、配管を覆って熱を和らげ、電気も通していました。
地上には、簡易の建物もつくったと報じられています。
部屋は約20、ベッドは約60人分、台所やネットもあった、という報道です。
一方で、薬物の取引にも関わっていた、と当局はみています。
保護者と密売人、両方の顔があった人物です。薬物を売った水揚げ金で地下コミニティーのその日暮らすお金にあてていたのですから、良いのか悪いのかは別にして、そんな世界があることを受け止めなければならないのです。

ブルース・リーはなぜ逮捕されたか

逮捕の直接の理由は、麻薬取引の疑いで摘発されたことです。
2015年7月21日、組織犯罪を扱う検察と警察が北駅周辺の地下を捜索しました。
対象は、23人規模の密売組織だと当局は説明しています。
ヘロインやメタドンなどを売っていた、という疑いです。

数十人が事情聴取を受けました。
イギリスの報道では、ブルース・リーを含む6人が逮捕されたとあります。
刀剣、現金、絵画、テレビなどが押収された、という報道もあります。
押収品の詳細は、当局がすべて確認したわけではありません。

その後、彼は危険薬物の密売などで有罪になりました。
刑期は14年と、現地メディアが伝えています。
2014年以降、海外メディアの取材が増えたことも指摘されています。
当局が動いた背景のひとつ、という見方です。公式な発表ではありません。

「俺たちのことをもっと知らせてほしい」とは、ブルース・リーが言った言葉です。
「国や親に捨てられた」とも言っています。
過去の政策があるかぎり、卑屈な感えに及ぶのはしかないと言えます。
前述した言葉の意味をしっかりと伝えたいのならば、「ペンは剣より強し」というように、もっと世界に向けて訴えることができなかったのかと思ってしまいます。
このような終わり方でしか解決できなっかたことを、政府はもっと考えるべきではないかと思いました。

マンホールタウンの「ケア経済」とは

ケア経済とは、行政の支援が届きにくい人たちが、食べ物や居場所、電気などを分け合って生きていた仕組みのことです。
都市研究者のミシェル・ランチョーネ氏が、現地調査をもとに整理した概念です。

地下では、食事や水、お金のやりとりがありました。
壊れたケーブルをつなぎ直し、銅線を集めて売ってもいました。
テレビを見たり、声をかけ合ったりする日常もあった、と記録されています。
住民はそこを「家」と呼んでいました。

薬物が日常に入り込んでいたのも事実です。
温もりと依存が、同じ場所に並んでいました。
だから美談だけではありません。
ただ、施設にも路上にも居場所がなかった人にとって、互いを支える場ではあった、と考えられます。

政策によって、溢れ出した問題は明らかです。
政府はもっと慎重に考えるべきでした。
マンホールタウンの住民は、この摘発により壊滅に至ったのですから。
毎日、暖かい布団で快適に眠れて、暖かいものを食べて暮らしていける僕たちには、考えも及びません。
壊滅に至る前の段階で、社会的な受け皿を確保せずに、摘発に及ぶことが問題です。
必ずしもいい方に傾くのではなく、社会に多くの犯罪者を放出することにもなるのです。

マンホールタウンの住民

住民の多くは、行き場を失った元孤児やホームレスの人たちでした。
男性だけでなく、女性や子どももいた、と報道されています。
薬物の使用や感染症の問題も、取材では繰り返し指摘されています。
人数の正確な統計は、公表されていません。

私の知る限り、マンホールタウンで知り合って、結婚する人までいました。
その2人には特別、ボスから、他の住民が入り込めないスペースが与えられていました。
そこで、妊娠・出産となると、僕らには考えられません。
この劣悪な生活環境で、子育てしなくてはならないのですから、察するに余りあります。

冬のルーマニアは、氷点下まで下がることがあります。
塗料の蒸気を吸って、寒さをしのいだ人もいました。
地上の簡易住居に移ろうとした時期もあります。
それでも、社会の側に受け皿があったとは言い切れません。

地下は危険な場所でした。
同時に、仲間と「父」がいる場所でもありました。
この両面を見ないと、住民の姿は見えにくいです。

摘発後の住民はどうなったのか

摘発後、トンネルの入口は封鎖されました。
地上の簡易建物もなくなりました。
調査では、その場にいた30〜40人が立ち退かされた、とされています。
一部は逮捕されています。
一人ひとりの行き先をまとめた公式記録は、公表されていません。

逮捕される側を懇願した人もいるのではないでしょうか。
地下を塞がれ、寒空の下、放り出されるわけですから、想像に難くありません。
その後、住民はどこに行き、どこを住居とするのでしょう。
社会側の受け皿はあったのでしょうか。

ブルース・リー本人は、服役が続いていました。
2025年7月時点で、仮釈放の申し立ては退けられています。
次の申し立ては2026年2月26日以降、と現地報道にあります。
その後に釈放されたかどうかは、確認できる公式発表がありません。

現地メディアが警察関係者の話として伝えるところでは、残った人の多くは去るか亡くなった、とのことです。
薬物の影響を挙げる声もあります。
数人は、今も彼の帰りを待っている、という話です。
これは取材源つきの報道であり、全員の実態ではありません。
のちに現地を訪れた人は、マンホールタウンは消えていた、と書いています。

ルーマニア地下コミニティー(マンホールタウン)まとめ

マンホールタウンは、ブカレスト北駅の地下で、行き場のない人が暮らしていた場所です。
リーダーのブルース・リーは、住民の父であり、当局からは密売組織の中心とみなされました。
2015年7月の摘発で入口は閉じられ、コミュニティは解散に近い状態になりました。

ケア経済と呼ばれた助け合いも、同時に失われました。
摘発後の住民の一人ひとりが、いまどこでどう暮らしているかは、全体としては明らかにされていません。
地下の暮らしが消えたあと、代わりの居場所が十分に用意されたかどうかも、公式には見えにくいです。
数字や罪名だけでなく、なぜ人がマンホールの下にいたのかまで見ると、この話の輪郭がはっきりします。

マンホールタウンの住民は、子供の頃からそこで育ち、帰る場所でもありました。
また、ブルース・リーが組織のリーダーであり、「父」でもありました。
マンホールタウンが、今、彼らの目には、どのように映っているのでしょうか。

最後まで、お付き合いいただき、ありがとうございました。

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